牛肉・食肉の歴史

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牛肉・食肉の歴史

2024-06-18 05:50:11| 来源: 网络整理| 查看: 265

江戸時代には建前としては獣肉食の禁忌が守られていました。

特に上流階級はこの禁忌を守りました。

例えば狸汁は戦国時代には狸を使っていたが、江戸時代にはコンニャク、ごぼう、大根を煮たものに変わっています。

1613年(慶長18年)、平戸島に商館を開設したイギリスのジョン・セーリスは陸路で大阪から駿河に向かう行程で書かれたとみられる日本人の食習慣に関する記述の中で、豚が多く飼育されていることに言及しています。

1643年(寛永20年)の刊行とされる『料理物語』には、鹿、狸、猪、兎、川獺、熊、犬を具とした汁料理や貝焼き、鶏卵料理等が紹介されています。1669年(寛文9年)に刊行された料理書『料理食道記』にも獣肉料理が登場し、1686年(貞享3年)に刊行された山城国の地理書『雍州府志』には、京都市中に獣肉店があったことが記されています。

江戸後期の国学者喜多村信節は、著書『嬉遊笑覧』の中で、元禄前の延宝・天和の頃には江戸四ツ谷に獣市が立ったことを述べています。1718年(享保3年)には獣肉料理の専門店「豊田屋」が江戸の両国で開業していました。

獣肉食の禁忌のピークは、生類憐れみの令などが施された17世紀後半の元禄時代で、この法令自体は徳川綱吉の治世に限られ、影響も一時のもので終ったが、特に犬を保護したことについての影響は後世まで残り、中国や朝鮮半島で犬肉が一般的な食材になっている一方で、日本では現代に至るまで犬肉は一般的な食材と看做されなくなりました。

18世紀の書『和漢三才図会』第37「畜類」の冒頭豕(ぶた)の条では育てやすい豚が長崎や江戸で飼育されていることが述べられているが、大坂在住の著者は「本朝肉食を好ま」ないため近年は稀だとしています。

牛の条の注には、日用としては駄目だが禁止する必要はないとも書かれています。

1733年(享保18年)に伊達家の橘川房常が書いた『料理集』には牛肉を粕漬けあるいは本汁として使うことができるが、食後150日は穢れる旨が書かれています。

彦根藩は「赤斑牛の肉だけは食べても穢れない」との理屈を付けて、毎年の寒中に赤斑牛の味噌漬けを将軍と御三家に献上していました。

18世紀には、なぜ獣肉食が駄目なのか、獣肉食の歴史はどのようなものだったかについての研究も行われた。

儒者熊沢蕃山は没後の1709年(宝永6年)に刊行された著書『集義外書』の中で、牛肉を食べてはいけないのは神を穢すからではなく、農耕に支障が出るから、鹿が駄目なのはこれを許せば牛に及ぶからなのだ、との見解を示しています。

藤井懶斎は儒者の立場から、没後の1715年(正徳5年)に刊行された『和漢太平広記』の中で、孔子に食肉を供えるはずの行事釈奠で肉を供えないのでは儒礼とは言えないとの見解を示しています。

香川修庵は1731年(享保16年)、著書『一本堂薬選』の中で、日本書紀や続日本紀の中に肉食が行われていた記録があることに言及し、本居宣長も1798年(寛政10年)に完成した『古事記伝』の中で、古代の日本人が肉食をしていたことに言及しています。

江戸中期になると蘭方医学も獣肉食に影響しました。

名所江戸百景に描かれた江戸の比丘尼橋(現八重洲)付近にあった猪肉店19世紀の小山田与清の著『松屋筆記』には猪肉を山鯨、鹿肉を紅葉と、そのほか熊、狼、狸、イタチ、キネズミ(リス)、サルなどの肉が売られたことが記されています。

1827年(文政10年)に出版された佐藤信淵の『経済要録』に「豕(豚)は近来、世上に頗る多し。薩州侯の邸中に養ふその白毛豕は、殊に上品なり」と書かれているように、一部では豚の飼育も行われていました。

 佐藤はこの著作で畜産の振興と食用家畜の普及を提言しているが、牛馬に関しては全く食用の可能性に言及していません。

1829年(文政12年)完成の地理書『御府内備考』には麹町平河町や神田松下町に「けだ物店」があった旨が書かれ、19世紀の寺門静軒の著『江戸繁昌記』にも、大名行列が麹町平河町にあったももんじ屋(獣肉店)の前を通るのを嫌がったことが記されています。

ここでは猪、鹿、狐、兎、カワウソ、オオカミ、クマ、カモシカなどが供され、内臓も被差別部落民に分配され食べつくされていました。

福翁自伝によれば、福澤諭吉が適塾で学んだ江戸末期の1857年(安政4年)、大阪に2軒しかない牛鍋屋は、定客がゴロツキと適塾の書生ばかりの「最下等の店」だったといっています。

1863年(文久3年)に池田長発らが遣欧使節団としてフランスに派遣された際も、一行は肉食はもちろん、パンも牛乳も日ごとに喉を通らなくなっていったとの記録があります。

1866年にはパークスとの会食で西洋料理を供し、最も牛肉忌避の強かった江戸時代にも、牛肉は「滋養強壮の薬」として比較的広く食べられていたようで、実際には薬と称して、隠れて肉を食べていました。ただ、あくまでもこれらの店の扱いは「薬屋」であり、食べ物でありながら食べ物として扱われませんでした。

江戸市中には「獣肉屋」四谷の三河屋など、「ももんじ屋」と呼ばれる肉料理屋や獣肉専門店もありました。

馬肉を「さくら」、猪肉を「ぼたん」「山鯨(やまくじら)」、鹿肉を「紅葉(もみじ)」などと称する隠語はこのときのものです。

日本初の牛鍋屋は1862年(文久年)横浜の「伊勢熊」というのが通説ですが、神戸や京都という説もあるようです。

東京最初の洋食屋は1867年(慶応3年)三河屋久兵衛が外神田に開店した「三河屋」とされています。

また、東京最初の牛鍋店は1869年(明治2年)江戸最初の屠場を開いた中川屋嘉兵衛の牛肉店から発展した新橋の「中川」です。

当時、牛肉屋は店先にフラフと呼ばれる旗を掲げることが多く、三河屋は「Mikawaya」、中川は「御養生牛肉」と書かれた旗を立てていました。

旗を掲げることを「商家高旗」といいます。

 「忠臣蔵」で有名な大石内蔵助は、堀部安兵衛の父・弥兵衛に「大変滋養があるので」と牛肉を贈っていますし、彦根藩の井伊家は、毎年将軍家をはじめとする有力大名に「牛肉の味噌漬け」を贈っており、幕末の大老・井伊直弼が暗殺されたのも、伊井家が水戸徳川家に対して牛肉の献上を止めたから、という話もささやかれています。

1908年(明治41年)に刊行された石井研堂『明治事物起原』によると、1860年代に横浜の居酒屋「伊勢熊」が外国商館から臓物を安く仕入れて串に刺し、味噌や醤油で煮込んで売り出し、繁盛したと記されています。

江戸時代には日朝間の外交使節として朝鮮通信使が派遣されるが、江戸幕府は外交的配慮から通信使に対して道中はイノシシ肉でもてなすものの、江戸城の正餐では儀式的な料理で魚貝・鳥類を除き獣肉が使われない本膳料理が出され、本膳料理は見ることを主眼とした料理で実際に食される部分は少なく、実際に食する膳として別に引替膳が出されました。

一方、朝鮮半島南端の釜山には日朝間の外交・交易を限定的に行う対馬藩管理の倭館が設置されていました。

倭館では朝鮮側から饗応料理として朝鮮式膳部が振る舞われ、膳部には牛肉などの食肉が用いられて、幕末期にはペリーやハリスにも本膳料理を出していました。

 幕末の蘭学者・緒方洪庵の日記にも「牛を解体して皆で食った」と記述が残っています。

15代将軍・徳川慶喜は豚が、徳川斉昭は牛が大好きだったそうです。

明治の時代になって、一般庶民がすぐに牛肉食へシフト出来たのもこうした文化があったからこそでした。



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